2013年05月22日
☆ウルグアイ、ムヒカ大統領の心揺さぶるスピーチ ☆
持続可能な発展と世界の貧困をなくすととは?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのか?
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると,西洋の富裕社会が持つ
同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの
原料がこの地球にあるのでしょうか? 可能ですか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供,資本主義の子供たち,
私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来ました。
マーケット経済がマーケット社会を造り,このグローバリゼーションが
世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」というような
共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし,すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず,
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く
多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し,経済が麻痺すれば不況のお化けが
みんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め,
できるだけ多く売らなければなりません。
10万時間持つ電球を作れるのに,1000時間しか持たない
電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
人がもっと働くため,もっと売るために「使い捨ての社会」を
続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
石器時代に戻れとは言っていません、昔の賢明な方々は、言っています。
「貧乏なひととは,少ししかものを持っていない人ではなく,
無限の欲があり,いくらあっても満足しない人のことだ」
これは文化的なキーポイントだと思います。
見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも,世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは,8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら,6時間労働になった人たちは別の仕事もしており,
結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?
バイク,車,などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き,ローンを払って行ったら,
いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく,幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます?これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係,子どもを育てること,友達を持つこと,
そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば,
人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを
覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのか?
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると,西洋の富裕社会が持つ
同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの
原料がこの地球にあるのでしょうか? 可能ですか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供,資本主義の子供たち,
私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来ました。
マーケット経済がマーケット社会を造り,このグローバリゼーションが
世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」というような
共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし,すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず,
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く
多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し,経済が麻痺すれば不況のお化けが
みんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め,
できるだけ多く売らなければなりません。
10万時間持つ電球を作れるのに,1000時間しか持たない
電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
人がもっと働くため,もっと売るために「使い捨ての社会」を
続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
石器時代に戻れとは言っていません、昔の賢明な方々は、言っています。
「貧乏なひととは,少ししかものを持っていない人ではなく,
無限の欲があり,いくらあっても満足しない人のことだ」
これは文化的なキーポイントだと思います。
見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも,世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは,8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら,6時間労働になった人たちは別の仕事もしており,
結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?
バイク,車,などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き,ローンを払って行ったら,
いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく,幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます?これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係,子どもを育てること,友達を持つこと,
そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば,
人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを
覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
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